CPUグリスの塗り方は、自作PC界隈において長年「宗教論争」の火種となってきた。点付け派、×字派、5点盛り派、そして丁寧さの象徴とされる「ヘラ平塗り派」。だが、ここで議論すべきは個人の好みではない。熱工学の観点から「どの手法が最も物理法則に則っているか」だ。
300台以上の組み立て経験と、グリスの物性、そして圧力分布から導き出される結論は一つ。ヘラによる平塗りは、現代のPCビルドにおいては「合理的ではない」ということだ。その理由を技術的に紐解いていく。
目次
グリスの役割を「熱伝導」と誤解するな
まず、大前提となる物理特性を整理しよう。グリスの役割は「熱を伝えること」ではない。
- 銅(ヒートシンク)の熱伝導率: 約400 W/mK
- ハイエンドグリスの熱伝導率: 約10~15 W/mK
- 空気の熱伝導率: 約0.024 W/mK
数値を見れば一目瞭然だが、グリスの熱伝導率は銅の数十分の一に過ぎない。グリスを塗る唯一にして最大の目的は、金属表面の微細な凹凸を埋め、「最大の断熱材」である空気を完全に排除することにある。
理想の状態とは、「空気の混入がゼロであり、かつグリスが可能な限り薄膜であること」だ。グリスは厚ければ厚いほど、熱抵抗となって冷却の邪魔をする。
膜厚は「人間」ではなく「圧力」が決めるもの
クーラーを装着する際、CPUのヒートスプレッダ(IHS)には強烈な面圧がかかる。この圧力が余剰なグリスを外側へ押し出し、分子レベルの隙間を埋めながら「最適な薄膜」を形成する。
ここで、点付けや×字塗りが圧倒的に優位となる理由がある。それは「中央から外側へ向かう圧力の流れ」だ。
- 点付け・×字塗りの挙動: 中央に置かれたグリスが、装着時の圧力によって放射状に広がっていく。このとき、グリスが内側から外側へ空気を押し出しながら展開するため、気泡(エアポケット)の混入を物理的に防ぐことができる。
- ヘラ塗りの挙動: あらかじめ全体に広げてしまうと、ヒートシンクを載せた際に、表面の細かな起伏に空気が取り残される。閉じ込められた空気は逃げ場を失い、断熱層となってホットスポットを作り出す。
つまり、膜厚を人間が手作業でコントロールしようとすること自体が、空気を抱き込むリスクを自ら高める行為に他ならない。
CPU形状に合わせた「プロの出し分け」
何台も組んでで確信した、GearTuneとしての最適解は以下の通りだ。
Intel(LGA1700以降):×字または中央縦一本
第12世代以降のIntel CPUは長方形であり、かつ「反り」の問題を抱えやすい。中央1点の点付けでは、長辺の両端までグリスが届かないリスクがある。ここでは「×字(ばってん)」、あるいはダイの配置に合わせた「中央縦一本」が極めて有効だ。多少塗りすぎたとしても、非導電性グリスであれば、はみ出しよりも「空気が入らないこと」を優先すべきである。
AMD(AM5):中央点付け
AM5のIHSは面積が小さく、複雑な形状をしているが、主要な発熱源(CCD)は中央付近に集中している。正確な「中央点付け」を行えば、装着圧だけで必要なエリアを完璧にカバーできる。むしろ、多すぎると独特なタコ足形状の隙間にグリスが入り込み、メンテナンス性を著しく損なう。
「平らに塗りたい」なら、PTM(相変化シート)を使え
もし、どうしても「均一な厚み」に拘泥するのであれば、ヘラで捏ね回すのは今すぐやめるべきだ。その代わりに、Honeywell PTM7950に代表される「相変化サーマルパッド」を採用するのが正解である。
PTMは常温ではシート状の個体だが、通電し熱が加わることで液状化し、微細な隙間へ浸透する。
- 物理的に均一な厚み
- 施工時の気泡混入ゼロ
- ポンプアウト現象(経年劣化での流出)への高い耐性
「ヘラで苦労して空気を抱き込むくらいなら、PTMを使ったほうが100倍良い」という言葉は、決して誇張ではない。施工再現性において、PTMは手塗りグリスを遥かに凌駕する。
結論:物理法則に逆らうな
自作PCは「丁寧な手作業」を愛でる趣味でもあるが、冷却に関しては「物理法則」がすべてを支配する。
見た目の美しさのためにヘラで均し、結果として目に見えない気泡を閉じ込めるのは本末転倒だ。空気を押し出し、最薄膜を形成し、誰が作業しても同じ結果を出せる手法こそが、真の「最適解」である。
プロが選ぶのは、職人芸的なヘラ捌きではない。物理的に最も失敗が少なく、かつ最高のパフォーマンスを発揮する「圧力による自己調整」だ。迷わず、中央から空気を押し出せ。
筆者のコメント
PCショップ店員時代、わざわざ時間をかけてヘラ塗りに勤しむ同僚を見るたび、私はいつもこう問いかけてきた。
「一体、何のメリットがあってヘラ塗りなんてしてるんだ?」
空気を抜き、IHSとヒートシンクを極限まで密着させる。それがグリスの至上命題だ。それなのに、なぜわざわざ空気を抱き込むリスクを冒し、不均一な層を自ら作るのか。私には理解できない。
お前が適当に捏ねくり回した不均一なグリス膜より、工場出荷時に機械で塗布された均一な膜の方が、よっぽどCPUを冷やせると思わないか?
新品のPCを組むならなおさらだ。おまけに、ヘラ塗りは無駄に工数が増える。1分1秒を争う店舗運営において、リスクを増やして時間をロスするなど、プロの仕事として三流以下だ。結局、ヘラ塗りは「丁寧な仕事をした気になるため」の自己満足に過ぎない。これに反論できるか?
私は彼の持っているヘラを指差し、最後にこう言い放った。
「CPUに空気を詰めるのはもうやめろ。そんなに何かを塗るのが好きなら、明日からパン屋に転職してジャムでも塗ってろ」


















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